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和歌山地方裁判所 昭和34年(わ)72号 判決

被告人 伊藤英信

大一三・八・五生 僧侶

被告人を懲役参年に処する。

但し、この裁判確定の日から参年間右刑の執行を猶予する。

訴訟費用は被告人の負担とする。

理由

(罪となるべき事実)

被告人は肩書住居に教会を持ち仏事とともに温灸、加持祈祷等に従事していたものであるが、少年期に父を失つてからは一家の中心となり親代りとして弟妹三人の面倒を見てきたところ、次弟定吉(死亡当時三二歳)は以前から素行が悪く、次々と犯罪を重ね、昭和三〇年頃同人が刑務所を出所して再び被告人のもとに引き取られてからも依然その態度は改まらず、遊興にふけつては仕事を怠り、そのうえに酒癖がきわめて悪く、屡々大酒を飲み時には刃物まで持出したりして他人と喧嘩をし、また遊興費の無心等のため被告人等他の兄弟に因縁をつけて暴力を振るう等のこともあり、更には、被告人の信者の一人である関義直の妻久子と関係して家出し、約一年後に同女が復縁した後も右関に対し再三金銭を要求しては同人方に暴れ込む等非道な振舞に出ることが多かつたため被告人はこのような定吉の態度につねづねいたく心痛し、同人の更生をはかるべく平生から何くれと同人に意見をし、更に事態の円満な収拾をはかるべく努力もし、同人の生活費や遊興費の後始末等多額の金銭的援助もなしてきていたが、同三三年九月頃からは定吉及びその妻子を再び和歌山市の被告人方附近に居住させて面倒を見ることとなり、同年一〇月頃から和歌山市和歌浦外浜六四八番地所在の弥生荘アパート一四号室に居住させるに至つた。しかし定吉の素行は一向に好転せず、折角被告人が世話した仕事も長続きせずに無為徒食する始末で生活にも困窮したため、同三四年三月一〇日頃右定吉の妻はその子を連れて神戸市の実家に帰つたが、その後、暫く同地に滞在して働く旨を定吉に連絡したため、定吉はその妻が同人と別れる意思を有するものと思い、妻に見放されたとして一層自棄的になるに至つた。そしてたまたま同月一五日午後八時頃、被告人がかねて奔走していた定吉の就職先が見つかつたのでこれを同人に知らせるべく前記定吉の居室に赴いたところ、程なく定吉も飲酒して帰宅したので同人の居室に連れ込み互に酒を飲みながら話し合つたが、定吉は就職の話等には全く耳を藉さず、その妻に見放されたとして被告人のなだめるのも聞かず、あげくのはては、前記関方へ金銭の無心に行くとまで言つて騒ぎだしたので被告人は世間体のこともあり、このうえ他人に迷惑が及ぶことも恐れて極力定吉にその非を諭したところ定吉も一旦はおさまつて被告人と一緒に寝床に入つたが、程なく急に起き上つて再び妻や関のことを言い募り、被告人のなだめるのもきかずにその場から直ちにでも関方へ赴く気勢を示し、いきなり立上りざま、なおも制止しようとする被告人の頭部等を殴打して来たため被告人は突嗟に定吉の左足首を掴んでその場に仰向けに押し倒し、同人が起き上つて関方へ暴れ込むことがないよう必死になつて同人の腹の上にかぶさるようにして押えたが、定吉が更に起き上ろうとし、兇暴性を発揮せんとしたので同人の上に腹這になり、同人の前頸部附近を右手で押しつける等して夢中になつて同人を押え込んだが右暴行により間もなくその場において右定吉をして窒息により死亡するに至らしめたものである。

(証拠の標目)(略)

本件公訴事実は被告人は殺意を以て判示加害行為に出たものであるというので、この点につき按ずるに前掲各証拠を綜合して認め得る

一、本件加害行為は被害者定吉の乱暴な振舞に端を発した全く突発的な犯行なること、

一、被告人は当時興奮の極に達していたこと、

一、被告人が判示の如く被害者定吉を倒し、これを強く押え込んだのは、同人をして関方へ赴き恐喝するが如き暴挙に出させないようにする強い念慮より出たものとも認められ、従つてこの行為が直に殺意をもつての行為とは断じ難いものがあること、

一、定吉の前頸部における圧痕部にはうつ血、爪痕ともになく、又受傷部位に認められる指圧痕も一方は指頭痕ではなく三本の横に並ぶものでこれは指圧痕としては極めて異例に属するものというのであり、右各状況からは被告人が定吉の前頸部を強く指先で掴んで扼する行為に出たものとは必ずしも思考し難いこと、

等の各状況事実より推考して被告人に当時殺意があつたと断定すべき証拠が十分でないので傷害致死の事実を認定したのである。

(法令の適用)

被告人の判示所為は刑法第二〇五条第一項に該当するのでその所定刑期の範囲内で被告人を懲役三年に処するが、情状により同法第二五条第一項第一号を適用してこの裁判確定の日から三年間右刑の執行を猶予し、訴訟費用については刑事訴訟法第一八一条第一項本文により被告人に負担させることとし、よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 中田勝三 尾鼻輝次 富永辰夫)

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